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東から西へ ヨーロッパ旅行記 ポーランド・ワルシャワ
2009-07-28 Tue 02:32
12月25日クリスマスの夜遅く
私は一人、ポーランドの首都・ワルシャワに着いた。
カトリックの国のクリスマスは噂通り、静けさにつつまれて
目抜き通りも人が歩いていない・・・。
th_DSC_5341.jpg

これから西の果てポルトガルまで、また旅が始まる。

ワルシャワ旧市街。
そこはまるでおとぎ話に出てくるかのような中世時代そのままの状態で
カラフルな建築群は色鮮やかで保存状態も良い。
th_DSC_5262.jpg

それもそのはずで、このワルシャワ旧市街はすべて
第二次世界大戦後に復元されたものなのだ。
戦場のピアニストという映画を観たことある人ならば
映画のラストで焼き払われた街のシーンを思い出すと思うが
あの舞台はワルシャワである。
th_DSC_5263.jpg

ナチス・ドイツによって、街の八割以上を火炎放射器で焼き払われ
破壊されたワルシャワ市民は過去の資料や、
生き残った人々の記憶を総動員に
出来る限り忠実に「壁のひび割れ一本まで」
元どおりに再現したというのだ。
th_DSC_5268.jpg

そんなことを言われなければ全く気がつかないほど
街は美しく17世紀から18世紀にかけてのゴシック様式やバロック様式の建物が
建ち並んでいる。
th_DSC_5270.jpg

占領の歴史をもつポーランド人の自国に対する誇り、こだわりは特筆に値する。
ポーランド語に対しての誇りも高い。

自国の文化に対して、いまいち愛着や誇りが足りないように思える
日本人とは対照的な印象を受けた。
th_DSC_5296.jpg

今回のポーランド旅行はもちろん観光なのだが
行く先々で第二次世界大戦のナチスドイツによる
傷跡をたどる旅になった。
ポーランドを旅行するにあたり、
第二次世界大戦やその後の社会主義体制下での恐怖政治。
そんな暗い歴史を少しでも知っていないと
理解することが難しい。なので簡単にまとめておいた。

1939年9月1日ナチス・ドイツはポーランドへ侵攻。
9月3日イギリス・フランスがドイツに宣戦布告。
第二次世界大戦が勃発。
9月17日ソ連軍がポーランド侵入。
9月28日 ポーランド首都ワルシャワ没落。
10月6日ポーランドは独ソに降伏。
東西の中間を国境線として分割占領される。
ポーランド政府はロンドンに亡命政権を樹立。
1944年8月1日 ワルシャワ蜂起
ドイツのソ連侵攻は失敗。
各地でドイツ軍を打ち破ったソ連軍がワルシャワに迫り
ソ連はポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた。
ドイツ軍兵力が希薄になったワルシャワで武装復帰することをソ連軍と打ち合わせる。
8月1日ワルシャワ市民はドイツ軍に対して一斉蜂起した。一時的に市街の中心部が解放区となったが
政治的には反ソ連だった蜂起の実体を見抜いたソ連軍は
ヴィスワ川対岸まで達しながらそこで停止。
裏切られたワルシャワ市民は20万人の死者を出し
ワルシャワ市街の八割以上が火炎放射機で焼き払われ
破壊された。
ポーランド首都ワルシャワは瓦礫の山となり
都市の面影を残さぬほどに破壊し尽くされた。
約2ヶ月間の決死の戦いだったがワルシャワ市民は10月2日に降伏した。
1945年第二次世界大戦が終わり、ヨーロッパは西と東で分断された。
東ヨーロッパにあたるポーランドは共産主義国として、
今度はソ連の占領下に入る。
1989年 社会主義体制の崩壊
記憶に新しいベルリンの壁が崩れ、東ヨーロッパにも資本主義の風が吹いた。

th_DSC_5284.jpg

さて、ここワルシャワ旧市街はこのワルシャワ蜂起の舞台となった場所だ。
瓦礫の山となってしまった自分たちの街を前に
ワルシャワ市民はどんな気持ちだっただろうか?
蜂起をそそのかし目の前で見殺しにしたソビエト軍、
家族、仲間を皆殺しにし、破壊の限りを尽くしたドイツ軍・・・
恨んでも呪ってもどうにも処理しきれない憎しみと
これから先、一体いつ自由で平和な日々を送ることが出来るのだろうと、
未来に絶望したに違いない。

ワルシャワ蜂起の時に「ソ連軍がヴィスワ川沿岸まで来て停止した。」と
言われても土地勘のない人間にはピンと来ないけれど
実際に行ってみると本当に目と鼻の先の話だ。
th_DSC_5285.jpg

本当に川の向こう側に援軍が来ているのに
ピタリとなぜか動かなくなった・・・。
そうこうしているうちに見方はどんどん殺されて
火炎放射器で街は燃やされ、レジスタンスは処刑され・・・。

さぞかし悔しかっただろうと、旧市街を歩きながら考えていたら
なんだか涙が出てきた。
th_DSC_5289.jpg

それでも、復元されたこの街は美しくロマンチックで
クリスマスツリーが飾られた広場はまるで中世のおとぎ話の世界のように可愛くて
ほんの60年前にそのような悲劇が起こった場所だとはとても思えないほど
のんびりと穏やかな空間だった。
th_DSC_5282.jpg



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